高知まで遠征試合してきた弟。
22:54岡山発の最終新幹線に乗るも、案の定寝過ごす。
新大阪止まりでよかったね。


そんなことはどうでもよくて。

きのうの夕方からお泊り会に行ってきました。
六アイの女子学生会館というところです。
下宿ながら完全男子禁制(家族すら)なのでママ許可下りました。
で、部活の女の子4人で何をしたのか。
イカフライ食べて飲んだくれて寝てました。お泊りの意味なし。
もちろん、ちょっとは語ったけれど。
部活を続けていくことへの迷いとか、恋愛のこととか。
一緒に入部して同じものを目指してきた14人の同回生も、少しずつ、ばらばらの道を進み始めたのだろう。
前公演に参加したのは10人。
きっと今回はもっと減る。
私は…どうするのだろう。

中学以来ひさしぶりにできた、家族にもっとも近い戦友たち。
そんな居心地のいい場所を、離れたくはないのだけれど。
感性の合う相方と、もっと一緒に仕事したいけれど。
美しいものを創りつづけていたいのだけど。
だけど…。
その先には、日の当たらない冷たい場所にいる、ススだらけになった中年女の、深い後悔と憎悪しか見えない。

高校時代にみた白昼夢があります。
ながいながい階段を、一列になって登っていく大人の背中。
暗い夜。私も一緒に歩いている。
みんな無言だ。私も無言だ。
そして、ふっと、前方の背中たちに橙の光がゆれる。
左のほうを見ると、階段の脇の小さな広場で、別の大人たちがキャンプファイヤーをしていた。
それは画家だったり音楽家だったり、映画監督だったり、
みんな階段を登ることを拒絶した人間だ。
暗く俯いて歩き続ける大人たちの横で、彼らだけが、笑って踊って無邪気に楽しんでいた。
私は列から離れ、彼らを見た。
遠巻きにキャンプファイヤーを眺める人は、私のほかにもたくさんいた。
けれど、私たちは知っていた。
ここにとどまることが出来るのは、私たちではないのだと。
私たちは、すこしのあいだ視線をキャンプファイヤーに残しながら、暗い足取りで列に戻った。

あの時。社会の視線のあたらない場所にいた私は、負けたことのない人には決して分からない感性を手に入れていました。
それはとても純粋で、脆くて。けれどそれがあるだけで、どれだけ長い潜水にも耐えることができました。
しかし私は知っていました。元の場所に戻るには、この感性を捨てなければならないのだと。
高校3年生の秋、光が恋しくてたまらなくなって、その衝動を使って、心にたまった雨の海の栓を抜きました。
そうすると、少しずつなにかを忘れていくのです。
まず、歌詞たちの生まれた地が見えなくなって
私にとって立体的だった音楽がスピーカーの震えになって
自分の書く物や歌う声からは論文のリズムが聞こえ始めて。

あの時。私は階段を登り続けることを選んで、そのことをひどく後悔していた。キャンプファイヤーの人々を羨んだ。
でも今だから分かる。
私たちが彼らに背を向けたのと同じように、彼らもまた、歌い踊ることで私たちに背を向けていたのだと。

私には分かる。
このままマイムマイムを続けていたら、きっとまた光がささなくなる。
せっかく取り戻した光を失いたくない。

たぶん私はもう、芝居に戻ることはない。

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