(年賀状出せてなくてごめんなさい。台湾でお土産買ってきたので送ります。)
というわけで学会は終わったのだけど研究はまだまだ進むし、あと
このクソ忙しい時期に部活を入れてしまったので、そうそうのんびりは出来ないなぁ。
学会行く前日に連絡くれてすごい嬉しかったのだけど、
帰ってきた日(今日)はスカイプにログインしてなかったぽい。
タイミングが合わなかっただけかもしれんけど。
じゃあ明日喋ればいいじゃん、て思うけど、金曜は飲み会の日だから
なんとなく連絡を控えてるのよね。
だから話せるのは、最短で土曜の晩。
たったそれだけで凹むだなんて、自分こんな面倒くさい女だったかしらと。
今まで付き合った人とは、そういうのをウジウジ言われるのがイヤでお別れしたのに。
こうやってどんどん自分の流儀に反していくのが辛抱たまらんのだけど、
これが自然な反応なんかね。
要は怖いんだろうね。
会いたいだとか寂しいだとか、なんで連絡くれないのとか、
そんなこと言おうもんなら、即座にいなくなっちゃうんじゃないかって。
自分がこれまでそうしてきたから。
あの人が好きになってくれたのも、私のそういう部分なのかもしれないから。
手がかからなくて、干渉してこなくて、自分の面倒自分で見れる奴。
そんなん彼女でも何でもなくて他人じゃないか、という感じだけれど、
もし私が男なら、そういう女がいいと思うから。
そういう女は、まんま、うちの母の裏返しでもある。
うちは両親の夫婦仲がイクナイので、高校くらいから、
(正確には弟が家を出てから)私が母の夫代わりになっている。
母は人間として尊敬してはいるが、親としては好きではない。
何だかんだ言いながら、結局子供を勲章にしたいだけなんだと思う。
私が高校で成績ガタ落ちした時、母は完全に私を否定してきた。
こんなこと言うのは幼すぎるけれど、あの時、
成績優秀だった中学時代と同じように堂々と三者面談にも来て、
何も気にしないふうに接してくれてたなら、
あそこまで精神的にガタガタになることはなかった。
結局、「優秀なお嬢さんですね」の一言が欲しかっただけじゃないかと。
(その気持ちも今なら分からなくもないけれど。
専業主婦にとっては、どうしても子供の成長ぶりだけが評価対象になるから。)
私が人並みの社会性を取り戻せたのは、部活のおかげだ。
芝居をやろうなんて思う人は、何かしらを抱えた人が大半だから、
他人のいびつさにも寛容だった。
そこで受け容れてもらえたから、自分に自信が持てて、
個性を発揮することに戸惑いもなくなった。
個を獲得しつつある私を、母は好ましく思わなかった。
それは変よ、普通しないわよそんな事、アンタらしくないわ、
と頻繁に言われるようになったが、
母の引く基準線は、自分が誇らしく連れ歩きたい娘のスペックであって、
私の持ち味とか世間全体の偏差値50を指しているのではない。
発達を阻害されていると感じ、これまで何度か、家を出してくれと説明した。
ただやっぱり養われている身は弱いので、そのたび断念させられている。
就職してから出ればいいというけれど、社会に出る時にはある程度完成していたい。
そして何より、発達には、後からリカバーできない最適期というものがある。
それを逃すと、いつまでも「母のせいで私は」と、幼い恨み節を言い続けることになる。
母のように。
多分、寮のある高校に合格して、そこに進学したいと言った時から、
私は心の底で何かしら感じていたんだろう。
そういうのが積もり積もって、
また母の夫役を押し付けられているのも重なって、
母へのネガティブな感情が、
母のようになりたくない、という気持ちにつながっているのだろう。
母が女性をやっちゃうから、私はいつまでも女になれない。
もうそろそろ、自分の面倒は自分で見てくれよ。
私はぜったい誰にも甘えず縋らず生きて行くんだから。
立場が上のくせにニャンゴロと甘えてくるなよ、鬱陶しい。
私は彼氏や旦那に鬱陶しがられない自信があるね。
台湾で喋った台湾人のおばちゃんに、
「自分の人生を大事にしなさい」
「お母さんの運命はお母さんの運命。仕方ないの」
「あなたがいなくてもお母さんは大丈夫」
って言われて、本当に嬉しかった。
母は、
「なんでお母さんだけ不幸にならなきゃいけないの」
「ほら、そうやってお母さんを使い捨てにする」
「あんたが居なくなったら誰に頼ればいいのよ」
としか言わない。
下段の本音をこらえて上段の言葉を言うのが、親ってもんじゃないの?
そしたら私も、使い捨てなんかにせず大事にしたいと心から思うよ。
そもそも、親は子に見返りを求めちゃいけない。
先輩におごり返すことがないように、
親の恩は、自分が生んだ次の世代に還元するものだから。
それを母は、分かっていない。
外場のない空間で、誰の影響でも洗脳でもない、自分の主軸を作りたい。
自分のためでもあるし、母を恨み続けないためでもある。
いつか年老いた母のために生きなきゃいけない時期が来る。
その時、殺意を抱きながら介護したくない。
子として生まれた以上、母親を好きだと思いたい気持ちはぬぐい去れる物でないし、
母親に愛されたいと思うのも、これはもう仕方ないけど、本能だから。
母から離れて、一人の人間として他から単離出来た時、
ようやっと私は、普通の女の大人になれる気がする。
だから待っててと、あの人に伝えたい。
今はまだ掴まり立ちすらできないけど、
きっと走って追いつくからさ。
付き合うまでの微妙な期間、自分が不器用すぎて本当イヤだったけど、
それを踏まえて、付き合ってくれた。
有難さが、ようやく分かってきた。
とあるブログで泣きそうになったエントリを最後に。
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■全文引用せずにはいられない歌。ハンバートハンバートの『街の灯』。アルバム『まっくらやみのにらめっこ』所収。
年ごろの太郎くん 街をぶらぶら
嫁探し嫁探し 街をぶらぶら
そこを往くかわい子ちゃん 歩くしなしな
一目惚れ一目惚れ おいらメロメロ
口下手な太郎くん 胸はどきどき
やっとのこと声かけた 汗はだらだら
高下駄のかわい子ちゃん 笑うゲラゲラ
1時間2万円 プラスアルファね
あたしアバズレ 尻が軽いの
あたし病気持ち たぶん死ぬまで
それでもよけりゃ付き合うわ
けがれなき太郎くん 両目をぱちぱち
でも言ったはっきりと 構やしない
驚いたかわい子ちゃん 口をぱくぱく
あきれちゃってあきれちゃって 物も言えないわ
あんたバカだね ほんとバカだね
治りゃしないよ たぶん死ぬまで
それでもいいわ 付き合うわ
あんたバカだね ほんとバカだね
治りゃしないよ たぶん死ぬまで
それでも仕方ないもんね
ハンバートハンバート『街の灯』
■誰もが、なんやかや、大なり小なり多かれ少なかれ「死ぬまで」「病気持ち」で「治りゃしない」のだ。それでも「構やしない」とはっきり言ってくれる人間が、きっといつか、どこかに現れる。有り難さに「あんたバカだね」と「口をぱくぱく」しつつ涙を流し、「それでも仕方ないもんね」と、互いの「病気」を受け容れる時が来る。
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