今週から本配属になりました。
なんというか、心安らかになるためには、苦しい思いをしてからじゃなきゃいけないみたいな、バチが当たるんじゃないか的な、なんかそんな思い込みが今まであったけど、
そういう心が、何もない平坦な道なのに、わざわざ這いつくばって虫眼鏡で地面を拡大して、ミクロン単位の凹凸を見つけてホラやっぱり!みたいな、
取るに足らない些細なものを、乗り越えられない障害に見せかけていたんだと最近思う。
私は何も苦労しなくても心安らかな毎日を送れるんだ、
そういう権利があるんだ、
そう思ってたら、本当に毎日があかるくなった。
ただ、手放しで信じればよかったんだね。
高校に行って、毎朝あるかりやじゃべりんやまいちゃんが「おはよ!」と言ってくれる。
そのことを、信じるまでもなく無防備に生活の一部にしていたように。
会えない人がいても、次に会った時は私をキライになってるんじゃないかとか、
そんなことはもう思わない。
わざわざ意識するまでもなく、自然に「おはよ!」ってなるんだから。
昔の数学者が本に書いてた。
“ある”には2種類ある。
存在を疑問視するこころを打ち消すように、強く言い切る“(いいや、)ある!”と、
ただそこに“ある”。
“信じる”ってことを、前者のような苦行にしてしまう人もいるけど、実は後者で、べつに難しいことじゃない。
そういうふうに、これから生きていこうと思う。
というか、生き始めた。ようやく。
そして、信じさせてくれることに感謝を。
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