月記

2011年6月29日 日常

今週から本配属になりました。

なんというか、心安らかになるためには、苦しい思いをしてからじゃなきゃいけないみたいな、バチが当たるんじゃないか的な、なんかそんな思い込みが今まであったけど、

そういう心が、何もない平坦な道なのに、わざわざ這いつくばって虫眼鏡で地面を拡大して、ミクロン単位の凹凸を見つけてホラやっぱり!みたいな、

取るに足らない些細なものを、乗り越えられない障害に見せかけていたんだと最近思う。

私は何も苦労しなくても心安らかな毎日を送れるんだ、

そういう権利があるんだ、

そう思ってたら、本当に毎日があかるくなった。


ただ、手放しで信じればよかったんだね。

高校に行って、毎朝あるかりやじゃべりんやまいちゃんが「おはよ!」と言ってくれる。

そのことを、信じるまでもなく無防備に生活の一部にしていたように。


会えない人がいても、次に会った時は私をキライになってるんじゃないかとか、

そんなことはもう思わない。

わざわざ意識するまでもなく、自然に「おはよ!」ってなるんだから。


昔の数学者が本に書いてた。

“ある”には2種類ある。

存在を疑問視するこころを打ち消すように、強く言い切る“(いいや、)ある!”と、

ただそこに“ある”。


“信じる”ってことを、前者のような苦行にしてしまう人もいるけど、実は後者で、べつに難しいことじゃない。


そういうふうに、これから生きていこうと思う。

というか、生き始めた。ようやく。


そして、信じさせてくれることに感謝を。


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